海上自衛隊掃海艦隊一般公開 in サンポート高松



掃海殉職者追悼式に行ってきました。


5月26日(木)から30日(月)にかけて、毎年恒例の掃海殉職者追悼式に伴う海上自衛隊掃海艦隊のサンポート高松への寄港があり、それに関する艦艇の一般公開・体験航海等が行なわれました。今回は掃海母艦「うらが」を旗艦に、掃海艦「やえやま」「つしま」がサンポートへ、掃海艇「おぎしま」「くめじま」が少し離れた高松港F地区へ入港。 私は今回は28日、29日と友人達との旅行に出かけたもので、掃海艦隊イベントにがっつりと付き合う事はできませんでしたが、何とか時間に都合をつけまして27日の掃海殉職者追悼式、掃海艦の一般公開のみ参加をいたしました。
5月26日、掃海艦隊入港の日。その日出勤日だった私はたまたま取引先へ出かけており、できれば早めに仕事を片付けて会社への帰りがてらにサンポート高松へ駆け付けるつもりにしていたのですが、ようやく仕事を終えて16:30にサンポートにたどり着いた時には、予定よりも早く全艦が入港した後でございました。掃海母艦「うらが」の艦首では翌日のアトラクションでしょうか、爆発物処理班によるラペリング降下のリハーサルが行なわれていたのでついでに見学しました。その後一旦会社に戻り、夜になってから今度は電灯艦飾を見に再びサンポートへ。幻想的にライトアップされた「うらが」「やえやま」「つしま」をひとしきり眺めてから帰宅しました。


サンポート高松に入港した掃海母艦「うらが」。


「うらが」の右舷艦首では爆発物処理班によるラペリング降下のリハーサルが行なわれました。


ほとんど素で飛び込むのと同じくらいのスピードで降下していきます。


梯子を使って岸壁へ登ってきた処理班の隊員。水中はワカメが生えててちょっと邪魔だったとか。(^^;


舷側に並んで一人ひとり紹介を受けました。


爆発物処理班の班長?さん。陸上自衛隊と同じ迷彩服着用です。


「うらが」の後ろに停泊する掃海艦「やえやま」(手前)と「つしま」。


夕陽を受ける掃海母艦「うらが」。


左の写真と同じアングルで。電灯艦飾でライトアップされた「うらが」。


翌27日。08:00過ぎに、当サイトのBBSの常連さんでもあるGONG00さん、あすかさんと合流し、掃海殉職者追悼式の行なわれる金刀比羅宮(こんぴらさん)へ。昨年のレポートにも書きましたが、海の神様でもあるここ金刀比羅宮には戦後の掃海作業において犠牲となった79柱の殉職者が祀られています。先週玉野で見学した掃海母艦「ぶんご」で展示されていたパネルによれば、太平洋戦争が終結した時に日本の近海、特に海峡や水道にはこれでもかと言わんばかりにびっしりと機雷が敷設されていました。これらをひとつひとつ処分して航路を啓開していったのが日本の掃海部隊であり、まさに現在の日本の繁栄は彼らの働きなくしては語る事ができないのでございます。その危険な作業の中で尊い命を犠牲にされた79柱の殉職者に対して、我々日本人は心から哀悼の意を捧げなくてはならないと思います。掃海隊群司令をはじめ、掃海艦隊の幹部が列席する中厳粛に執り行われた慰霊祭を見学し、私も殉職者の方々に思いを致し改めて感謝と哀悼の念を新たにいたしました。


サンポートシンボルタワーを背景に、「うらが」「やえやま」「つしま」の電灯艦飾。


一夜明けて、朝日を浴びる「うらが」。


同じく掃海艦「つしま」。


08:00、自衛艦旗、国旗の掲揚。


掃海殉職者追悼式に参加する儀杖隊が「うらが」飛行甲板で入念なリハーサル。(ただし、儀杖隊は翌28日の参加でした。)


ところ変わって、金刀比羅宮の境内にある掃海殉職者顕彰碑前の追悼式会場。


追悼式に参加した掃海隊群幹部の面々。


脱帽し深々と一礼。


拝礼。


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