美保基地開庁50周年記念塗装のC-1中型輸送機。#58-1011。青色は空自のイメージ、および空と日本海の色だそうです。機体後部の白い山は山陰の名峰大山を表しています。

垂直尾翼には「ゲゲゲの鬼太郎」原作者で地元境港市出身の水木しげる氏が描いた「一反木綿に乗った鬼太郎と目玉親父」が貼られています。


記念塗装のYS-11P輸送機。#02-1158。この158号機は航空自衛隊50周年の時にも記念塗装機になっていましたね。

記念塗装のT-400練習機。#41-5063。記念塗装3機の中ではこのT-400が一番好みです。濃いブルーと白のコントラストが美しいですねぇ。


さて、用途廃止機の見学などしていたところ、13:35のブルーインパルス演技開始の時間になったので急いでエプロン地区へ戻りました。天候も午前中に比べて少し回復しているように見えます。飛ぶのか、飛ばないのか、詰めかけた多くのお客さんが固唾を飲んで見守る中、エンジンを始動したT-4ブルーが滑走路へ移動。まずは5番機が離陸し、ウェザーチェックを行いました。その結果、付近に不安定な空域があるとの事で、残念ながらブルーの飛行展示も中止。そのまま5番機が上空を数回パスして、本日のプログラムも終了しました。

エンジンを外された状態のC-1。珍しい姿だったので撮影してみました。外されたエンジンは第3格納庫で展示されていた分でしょうか。


13:30頃、ブルーインパルスの展示開始を前に大勢の人がエプロンに詰めかけました。ブルーのT-4が駐機している付近は大混雑で、移動も困難なほどでした。この時点ではまだブルーの飛行展示を行うか否かの結論は出されておらず、それだけに多くのお客さんの期待は高かったと思います。

ウォークダウンからエンジン始動、滑走路へのタキシングを終え、まずは5番機が天候チェックのため離陸。下から見る分には飛行に差し支えは無さそうな感じでしたが・・・。

残念ながら付近に不安定な空域があるという事で、飛行展示は中止。詰めかけたお客さん達からどよめきのようなため息が洩れ聞こえました。

せめてものサービスか、5番機がスモークを曵きながら数回パスしてくれました。次はどこの航空祭で見られるかわかりませんが、今度こそ晴天のもとで第1区分の演技を楽しみたいですね。


約61000人が訪れた美保基地航空祭も以上を持って終了。一斉に帰り支度を始めるお客さん達を横目に、私達は外来機の帰投を見送るためもう少し居残る事にして、最後のP-3Cが離陸するまで粘ってから、16:10頃に基地をあとにしました。それにしても、米子インターチェンジに向かう国道431号で渋滞に巻き込まれる頃になって青空が広がりはじめたのにはちょっと苦笑いでした。この天気がもう半日早ければ・・・。

エプロンでは終日、ブルーインパルスのパイロット達によるサイン会が行われ、どのパイロットの前にも長蛇の列ができていました。私も飛行隊長の山口二等空佐にサインと握手をいただきました。

15:20頃から外来機の帰投が始まりました。

タキシングを開始するC-130H輸送機。

敬礼で見送られ、タキシングしていくU-125飛行点検機。

E-2C早期警戒機も帰投準備。

ブルーインパルスは今日は帰らないようです。

離陸するU-4多用途支援機。

離陸するE-2C早期警戒機。

離陸するUH-60J救難ヘリ。

離陸するT-4中等練習機。

離陸するU-125飛行点検機。

離陸するC-130H輸送機。

招待者の送迎でしょうか、C-1も何機か離陸していきました。

タキシングする海上自衛隊のP-3C哨戒機。

P-3Cのコクピットからはパイロット達が手を振っていました。

離陸するP-3C哨戒機。以上で本日の帰投は終了です。

花電車「SL日本海」も撤収してきました。

破壊機救難消防車も撤収。

フォークリフトがポールを片付けています。私達もそろそろ引上げ時です。

航空気象群/美保気象隊の建物の前に吊るされていた巨大な照る照る坊主、「好天班」所属の「天照(アマテラス)」君です。

天照君の身体には過去に好天をGETした時の催し名が勲章のように着けられていました。今日はちょっと力及ばずでしたが、来年はぜひこの勲章が増えると良いですね。


今回の美保は、航空祭としてはちょっと残念な結果となってしまいました。飛行機がガンガン空を飛ぶのを期待してきた人達には非常に物足りなかったかと思います。ただ、いかに自衛隊といえど天候ばかりはどうする事もできませんし、飛行展示が次々と中止になる中、急きょ高尾山レッドクラブの演技を2回から3回に増やすなど、イベントを少しでも盛り上げようとする基地側の努力は素晴らしいと思いました。私的にはC-1 FTBや空自仕様の軽装甲機動車など大収穫もありましたし、美しくデザインされた記念塗装機も見られたので、それなりに満足のいくイベントでした。
〈了〉

国道431号を米子インターチェンジへ向かっていた17:10頃、頭上には青空が広がっていました・・・。この天気がもう半日早ければなぁ・・・。

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おまけ写真
機材庫脇のコンクリートにひっそりと刻まれた文字を見つけました。意味合いはまったくわかりませんが、「13 MAY 1953」とある事から、戦後、基地が連合軍の接収下にあった頃のものでしょうか。