陸上自衛隊 姫路駐屯地 創立56周年記念行事



姫路駐屯地祭に行ってきました!


11月11日(日)。この日、兵庫県は姫路市に所在する陸上自衛隊姫路駐屯地において、創立56周年記念行事が挙行されましたので遠征してまいりました。世界遺産として名高い名城・姫路城の北側に位置するこの駐屯地は、私の住む岡山市からもさほど遠くない駐屯地なのですが、これまで他のイベントと重なったりして訪れる機会がなく、今回初めての訪問となりました。
駐屯地へ到着してみるとまだ開門前で、正門のところから入場待ちの車列ができていました。私もそれに並び待つことしばし、08:50頃に駐屯地へ進入。駐車場へ車を停めてさっそく式典会場へ向かいました。
姫路駐屯地は陸上自衛隊第3師団隷下の第3特科隊および第3高射特科大隊、第3後方支援連隊 第2整備大隊 特科直接支援隊、第3後方支援連隊 第2整備大隊 高射特科直接支援隊、その他、姫路駐屯地業務隊、第318基地通信中隊姫路派遣隊、第347会計隊、第115地区警務隊姫路派遣隊などが駐屯しています。駐屯地としての歴史は古く、明治7年10月に旧陸軍歩兵第10聯隊 第1大隊 第1中隊が大阪から姫路へ移駐したのを機に、明治17年には歩兵第10聯隊の移駐、明治29年の軍拡では第10師団が新編され姫路が軍都として発展する中、明治30年に野砲兵第10聯隊が現在の姫路駐屯地に駐屯したのが始まりとなります。
戦後は昭和26年に特科第63連隊が配置されたのをはじめに、昭和29年の自衛隊発足に伴う第3特科連隊への改編を受け、戦前戦後を通じて「砲兵の駐屯地」として機能しています。また、昭和32年に第10特科連隊が編成され豊川ヘ、昭和37年には第13特科連隊が編成され日本原へ移駐するなど、中部方面隊の特科発祥の地となった駐屯地でもあります。第3特科連隊自体も幾度かの改編を経ており、昭和40年には第5大隊が今津駐屯地へ移駐、平成2年には情報中隊が新編され、さらに平成4年に第6大隊が第3高射特科大隊に改編、そして平成18年には名称を「第3特科隊」と変え、第5大隊が解隊されて現在に至っています。


09:15頃、隊列を組んで式典会場に向かう第3特科隊の中隊。


自分達の乗車を磨く第3戦車大隊/第2中隊の隊員。こうして見るとホントにコンパクトな戦車ですねぇ。


式典前に会場に水を撒く消防車。


入場する第3音楽隊。
式典会場の右端の方に場所を確保し、74式戦車の乗員が自分達の戦車を磨いているのを眺めたりしつつまったり過ごしていると、10:00頃に観閲部隊の入場が始まり、10:20、第3特科隊長兼ねて姫路駐屯地司令、氏原隆彦一等陸佐を観閲官に、第3特科隊副隊長、安光光儀二等陸佐を観閲部隊指揮官として、姫路駐屯地創立56周年記念式典が始まりました。観閲部隊は向かって左から、第3音楽隊、第3特科隊本部管理中隊、同情報中隊、同第1中隊、同第2中隊、同第3中隊、同第4中隊、第3高射特科大隊本部管理中隊、同第1中隊、同第2中隊、第3後方支援連隊第2整備大隊特科直接支援隊、第3後方支援連隊第2整備大隊高射特科直接支援隊です。


観閲部隊入場。入場と同時に中隊毎に装備や災害派遣担当区域の紹介が行われました。


整列する観閲部隊。


入場する幕僚。


観閲部隊指揮官臨場。


観閲部隊指揮官に敬礼。


答礼する観閲部隊指揮官、第3特科隊副隊長・安光光儀二等陸佐。


ここで常日頃から姫路駐屯地に対し支援・協力、また防衛基盤の育成に尽力し、駐屯地司令から感謝状を贈呈された方々の紹介が行われました。


観閲官に敬礼。栄誉礼ではなく普通の敬礼でした。


答礼する観閲官、第3特科隊長兼ねて第27代姫路駐屯地司令・氏原隆彦一等陸佐。


『部隊、付け剣』「付け剣ー!」の号令のもと、銃剣を鞘から抜き、小銃に着剣する観閲部隊。


国旗入場。このあと国歌吹奏のもと、国旗に対し敬礼が行われました。


巡閲。人員287名、車輌46輛が氏原司令の巡閲を受けました。


巡閲から戻る観閲官・氏原一等陸佐。

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