陸上自衛隊三軒屋駐屯地 創立51周年記念行事


三軒屋駐屯地祭に行ってきました!
次第に涼しさの増してきた10月8日(日)、岡山県は岡山市に所在する陸上自衛隊三軒屋駐屯地において、創立51周年記念行事が催されましたので、遠征してまいりました。この8月末に高松市から岡山市へ引っ越してきた私としては、同駐屯地は自宅からもっとも近い駐屯地となりまして、車で25分もあれば到着できてしまいます。今年、自衛隊イベント遠征から足の遠のいている私にとっては、5月末の美保航空祭以来の久々の自衛隊行事イベントとなったわけですが、天候の方もこれ以上ないくらいの秋晴れに恵まれ、絶好の駐屯地祭日和となりました。
09:30の開門に間に合うように09:00過ぎに駐屯地正門へ到着し、そこで岡山県人さんと合流。彼からの情報によれば、本日の記念行事では式典や訓練展示が行われるとの事。三軒屋といえば私が訪れたここ何度かは、訓練展示はおろか式典すら行われず、一般向けとしては装備品展示とミニコンサート、模擬店くらいしかなかったもので、それが事実なら大変すばらしいことでございます。
(フォロー:昨年は別の日に音楽コンサートがあり、一昨年は式典もあったようです。)
ただ、私としては例年通りの簡素な行事内容を想定しておりましたもので、カメラ機材も小さめのシューティングバッグに入るくらいの軽装備で来てしまっており、こんな事ならもうひとつ大きめの望遠レンズも持ってくれば良かったと後悔しきり。
三軒屋駐屯地は関西補給処三軒屋弾薬支処が置かれ、全国の部隊への弾薬発送と警備・検査の任を負っていますが、今年3月に香川・善通寺駐屯地から第305施設隊が移駐し、所在部隊の規模が大きくなったようです。(代わりに以前配置されていた第349施設中隊は解隊されたようですが。)それに伴って今回の記念行事も盛大になったのでしょうかね。
さて、09:30になり駐屯地内へ進入。奥のグラウンドへ向かうと紅白の観閲台や招待者用の椅子席が設けられているのが確認できました。招待者席の両端には一般見学者用の椅子席もありましたので、さっそく最前列を確保して式典開始を待ちます。


三軒屋駐屯地正門。


入場する参列部隊。


整列する部隊。


他の駐屯地記念行事と違って、第一種夏服を着用しています。


やがて参列部隊(アナウンスでは「観閲部隊」とは言ってませんでした。)が入場。私達の向かって左から第13音楽隊(海田市駐屯地)、三軒屋弾薬支処、第305施設隊、第104施設直接支援大隊第2直接支援隊、第312基地通信中隊が整列しました。
そして10:30から支処長兼三軒屋駐屯地司令・天雲一等陸佐を執行官に、第305施設隊長・三浦二等陸佐を参列部隊指揮官として式典開始。お名前が特徴的なので覚えていたのですが、司令の天雲一佐は以前第46普通科連隊の連隊長を勤められた方ですね。
式典では巡閲と観閲行進がありませんでしたが、その他は通常通り、国旗入場/敬礼、執行官式辞、来賓祝辞、来賓紹介、感謝状受章者紹介、祝電披露、国旗退場、と粛々と進んでいきました。


参列部隊に答礼する参列部隊指揮官、第305施設隊長、三浦二等陸佐。


執行官入場。


部隊に答礼する執行官、三軒屋弾薬支処長兼ねて
三軒屋駐屯地司令、天雲一等陸佐。


国旗入場。


執行官式辞。「我々は常日頃から腕(かいな)から力は抜けていないかを自問自答しつつ訓練に励み、もって国家国民の付託に応える覚悟を持ってもらいたいと思います」と隊員を激励されました。


来賓祝辞、最初は衆議院議員、逢沢一郎氏。イラクなどでの自衛隊の活躍に対する感謝の言葉とともに、衆議院議員運営委員長という立場において、「防衛庁」から「防衛省」への昇格を必ず実現させる、という力強いお言葉でした。


続いて参議院議議員、江田五月氏の祝辞。やはり民主党議員という立場からか、逢沢議員とはちょーっと違ったお話でした。


石井岡山県知事の代理として祝辞を述べた、県危機管理官の須田氏。この翌日には北朝鮮による核実験が行われ、同氏も危機管理官として情報収集にあたる姿が報道されました。


割と風の強い日でした。不動の姿勢を保つ旗手も大変です。


参列部隊指揮官退場。


退場する部隊。


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