蒼き空の彼方に挽歌を
〜追悼・ブルーインパルス、美保C-1墜落事故によせて〜

2000.07.09

先月末から今月初めにかけて、大変残念な事故が続きました。既に様々なメディアで報じられているのでご存じの方も多いと思いますが、6月28日(水)に航空自衛隊美保基地に所属するC-1中型輸送機が、7月4日(火)には、松島基地に所属する第4航空団第11飛行隊、あの「ブルーインパルス」のT-4中等練習機2機が、相次いで墜落してしまったのです。この二つの事故で亡くなられた8人の隊員の方達のご冥福を心よりお祈りし、またご遺族の方にお悔やみを申し上げたいと思います。

背景
C-1中型輸送機墜落事故

6月28日午後2時35分頃、島根県・隠岐島の北西約50kmの日本海上空で消息を断つ。
乗員は機長・川西隆一三等空佐(41)、副操縦士・藤本あい二等空尉(26)、輸送員・酒元光行一等空曹(39)、機上整備員・後藤純一三等空曹(31)、検査隊整備員・岩谷利孝一等空曹(47)の5名。
航空自衛隊、海上自衛隊、海上保安庁の捜索で油やタイヤなど多数の浮遊物を発見、空自は同機が墜落したと断定した。
7月2日、現場海域の海底250mで機体の残骸を発見、4日までに乗員の遺体の一部を発見した。

ブルーインパルスT-4墜落事故

7月4日午前10時20分頃、宮城県松島基地の南東約25kmの大平洋上で、ブルーインパルスのT-4中等練習機2機が消息を断つ。
同基地や第2管区海上保安本部、宮城県警などが付近の海域や牡鹿半島山中を捜索したが、乗員や機体は同日夕方までは発見されなかった。
翌5日午前、牡鹿半島の高山(標高343m)南側付近でヘルメットと機体の一部を発見、その後高山の南約2kmにある光山(標高444m)山頂付近で、2機の機体の一部と乗員3名の遺体が発見された。
乗員はブルーインパルス5番機パイロット・阿部幹雄三等空佐(37)、同6番機パイロット・一嶋三樹三等空佐(35)、梅川智弘一等空尉(35)。

C-1の副操縦士だった藤本あい二尉は、航空自衛隊では4人目の女性パイロットとして、今年2月に就任したばかりだったそうです。もちろん、空自の女性パイロットとしては初めての犠牲者となってしまわれました。自衛隊でも男女の垣根を超えて、様々な分野に女性が進出していますが、藤本二尉などはその先端を行く人だったと思います。残念でなりません。
この事故で亡くなった方達は、まだ発見されていません。もし暗い海の底にいるのなら、一刻も早く家族のもとへ帰してあげてほしい。まだ懸命の捜索を続けておられるであろうレスキューチームの方達、私はここにいて何もする事ができませんが、がんばっていただきたいと思います。

C-1の事故のショックも覚めやらぬ7月5日、会社で新聞を広げた私の目に飛び込んできた「空自2機が不明」の見出しとT-4の写真。迂闊な事に、前日ニュースを見ていなかった私がこの事故の事を知ったのは、この時が初めてでした。
あまりの事にしばらく呆然としたあと、ネットのニュース欄で片っ端から関連の記事を読み始めました。その時点ではまだ機体などが見つかったとの報はなく、私は「必ず無事でいてくれる」との期待を胸に、仕事の合間を縫って情報を集めていました。しかしその期待も虚しく、午後のニュースでパイロットの亡骸と機体を発見したとの報。会社での事だったので涙を見せないように、目頭を押さえるのが精一杯でした。
このHPにもレポートをアップしてありますが、先月6月4日、美保基地で彼等は私の目の前にいました。演技が始まる直前、少しリラックスして笑顔を見せていた6人のパイロット。そのむこう端にいた二人が、今回事故に遭った阿部三佐と梅川一尉でした。もちろん目の前で見た、というだけで直接お会いした事はありませんが、ほんのひとときでも同じ場所にいて、なおかつあれほどの感動を私達に与えてくれた人達に、わずか1ヶ月後に訪れた不幸を考えると、たまらなく悲しく、悔しい思いがします。
昨日付けの新聞で、航空幕僚長・竹河内空将が記者会見したところによると、中止されている飛行訓練は安全確保の基本訓練の徹底など再発防止策を講じた上で段階的に再開、7月中に予定されていた防府と宮城の航空祭での展示飛行は中止するとの事(中国新聞)。もちろん、展示飛行の中止はこれだけにとどまらないでしょう。第2単独機であった阿部三佐の後任パイロットがそう簡単に確保されるとも思えませんし、空自側でもほとぼりが覚めるまでは展示飛行を再開できないと判断するかもしれません。今期、ブルーの復活は望めないかもしれない。
でもこの不幸を乗り越えて、いつか必ずあの6機のブルーが空へ戻ってきてくれる事を、今は切に願ってやみません。

今回、不幸にも続いてしまった二つの事故でひとつだけ苦言を呈させてもらうなら、マスコミの報道のあり方に非常に腹ただしさを感じました。これはネット上で他の掲示板などでも多く語られているところですが、事故が起こってから「それ見た事か」と言わんばかりに自衛隊を叩き、いたずらに住民の不安を煽るようなやり方には怒りを覚えずにはいられません。別に自衛隊寄りの報道をしろと言っているわけではありません。ただ、よく事情を知りもしない記者達が、しっかりした調査報告も出ないうちから憶測だけで「自衛隊=悪」というような記事を並べ立て、今まさに悲しみに耐えている遺族の心情をこれ以上傷つけてほしくないのです。

相次いで起こってしまった二つの事故。起きてはならない事だったし、死んではいけない人達だった。航空機は空を飛ぶものだから、墜落のリスクは常に背負っています。ただ、事故を起こさないように隊員の方達が常から努力を惜しんではいない事を私達は理解しなくてはならないし、今回のような事故はその上で起きてしまった不幸である事を心にとどめおかなくてはなりません。
以前、1982年にブルーインパルスが展示飛行中に墜落事故を起こしてから、再び空を翔るようになるまで本当に長い歳月がかかりました。その間の関係者の苦労と努力は、察して余りあるものがあります。今度も彼等には様々な苦労がのしかかっていくのかもしれません。でもきっと、彼等はあの強靱な精神力で再びこの蒼い空へ戻ってきてくれる事でしょう。そして私達に感動を。子供達に夢を与えてくれるでしょう。それを信じて、いちファンとしてますますブルーインパルスを応援していきたいと思います。

最後にもう一度、二つの事故で亡くなった8名の隊員に、哀悼の意を表して。


後記:7月11日現在、C-1の乗員の遺体は5名全て発見され、収容されましたが、この時点までは行方不明者という扱いになっていたようです。本文中に既に死亡を確定したかのような表現がありましたことを深くお詫びし、改めて殉職された隊員の方のご冥福をお祈りいたします。