November.99

99年11月分の日記です。下に行くほど古くなってます。

■99.11.30 Tue  近頃のお子様の戦術。
 またまた風邪をひいてしまいましたよ。・・・この間治ったばかりなのに。一冬で2回も風邪をひくなんて、ここ何年もなかったのに。やっぱり体力が落ちているのかなぁ。・・・・トシだしな。
 さて、これは昨日のお話。JRの車中で列車の出発を待っていると、3歳くらいの男の子とママらしき人が乗り込んできましたよ。ワタクシと背中合わせに座ったその二人。しばらくおとなしくしていたのですが、列車の出発5分前というところになっていきなり男の子が大声で泣きはじめたんですな。まあ、このくらいの時期の子供なら、だれでもわがままを言って泣いたりはするものでしょう。聞いていると、どうやら男の子が大切なおもちゃを自宅に忘れてきたので、家に取りに帰りたい、ということらしいんですよ。ママとしてはもうすぐ列車が出発するというのにそんなわがままを聞けるはずもない。男の子は泣くは叫ぶは、
「いやだ〜!いやだ〜!」
のくり返し。
「もうっ!うるさいからやめなさい!」
と叱るママ。まあ、この辺まではよくある風景。一種ほほえましささえ感じますな。しかしそのうち、男の子が、こう叫びはじめたのですよ。
「痛いよ〜〜!!苦しいよ〜〜〜〜!!(T□T)」
Σ( ̄□ ̄;;; マ、ママ!!まさか児童虐待をしてるんじゃ!?こんな公衆の面前で虐待とは、いや、実に世も末ではございませんか!!近ごろは自分の子供でも平気で殺したりするイカれた親が多いのは報道でもよく取り上げられるところ。しかしそれがワタクシの目の前の行われたとあっては、これはとめなくてはなるまい!・・・などという正義感が働いたかどうかは定かではありませんが、ワタクシはちょっと気になって後ろの席をのぞいてみたんでありますよ。男の子は相変わらず
「痛いよ〜!苦しいよ〜〜!」と叫んでおりますが、別にママは何もしていない様子。ε=( ̄0 ̄;ホッ、虐待じゃないみたいだ。よかったよ。とすると、これは男の子のダダこね戦術か?痛い、苦しいと叫べば少なくともママを困らせてやれるという考えなのだろうか。それともこの子は齢3歳(推定)にして非常に詩的な才能の持ち主で、
「聞いてよママ!ボクはこんなに胸が痛いんだ、心が苦しいんだ!」
という魂の叫びなのか!?ん〜〜〜、いずれにしてもママは全然動じてない様子。依然泣き続ける子供を無視して、雑誌など読んでいらっしゃる。ま、相当お気に入りの大切なおもちゃなんだろうな。ちょっと男の子に同情するワタクシ。やがて駅員さんがピッと笛を吹いて、扉が閉まって列車は出発。ま、こうなっては男の子もあきらめざるをえまい。これでおとなしくなるかな。と思っていたら。
「バ〜カ、バ〜カバ〜カ!!(T□T#」
と泣きながらママに暴言をはく男の子。おお、ストレートだな。それでこそお子ちゃまの攻(口)撃というものだ。「痛いよ苦しいよ」作戦は失敗に終わったけど、その方が子供らしくていいよ、うん。と、その後駅二つ分くらい続く「バ〜カ、バ〜カ」を聞きながら、妙に納得してしまったのでありました。

■99.11.02 Tue  きっとその道を極めたひと。
 最近、すっかりワタクシのマン・ウォッチングの場と化しているJRの車内。今日はそこで、見慣れない乗客を見つけてしまいましたよ。二人の外国人。二人とも金髪のまだ若い(であろう)白人の青年です。ピシッとスーツを着こなして、うん、さすが欧米人はかっこいいですな。
 で、眠りこけているその二人を観察していたところ、彼らのつけていた名札に目が留まったのでありますよ。何やら日本語で「イエス・キリスト教会」と書いてある。ああ、宗教屋さんかぁ。よく表町の商店街を歩いていると「チョト、イイデスカァ?」って声をかけてくる例のあの人達ね。ちなみに、ワタクシはよくこういった人達に声をかけられます。アンケートの人とか、宗教の人とか。ワタクシが一人で歩いているのが悪いのか、それとも人生に疲れた顔をして歩いているのが悪いのか。広島にいたときには、本通り商店街のわずか500メートルを歩く間に、4人のアンケート屋さんに呼び止められるという快挙を成し遂げたこともあります。( ̄▽ ̄;; まあ、それはそれとして、ワタクシは一貫して宗教屋さんというのが、大嫌いなタチでして。宗教は認めますよ。特に自分を厳しく戒め、日々修行される宗教家の方々や、長年に渡って育まれてきた宗教美術といったものは。これも一種の文化として受け入れなくてはならないものでしょう。しかしながら、手当たり次第に布教活動をしたり、お布施を集めるだけの組織だったり、怪しげな壺を売りつけたり、サティアンでサリンを作ったりする輩は、心の底から忌み嫌っているのです。そういった事情もあって、私は信仰する教えは持ち合わせていません。私だけでなく、日本人の多くは無宗教なのではないでしょうか。
 しかしながら、外国の方々というのはキリスト教にしろイスラム教にしろ、信心深い方が多いですよね。いつぞやはデパートのレストコーナーでメッカに向かって思いっきり礼拝しているアラブ系な人を見たことがあります。彼らの場合、生活の基盤が既に神の教えの上に成り立っているものですから、おのずと信仰も深いものになっていくのでしょう。彼らにはそれが当たり前のことで、むしろ日本人のような無宗教というものの方が奇異に映るのかもしれませんね。
 で、だいぶ話が横道にそれまくってしまいましたが、その外国人の名札には、名前なども記されておりまして。「ELDER JASON BARNHILL 末日聖徒 イエス・キリスト教会」などと、黒地に金色の文字で印刷してあります。で。彼の名前に注目です。アルファベットで書かれた彼の名前の下に、カタカナでも名前が書かれています。ジェーソン・バーンヒル長老。え?・・・・長老!?Σ( ̄▽ ̄;;
おいおい、長老って・・・何となく袖の長い服を着て、長い白いあごひげを生やして、樫の木で作った杖をついてそうな、村の知恵袋チックな、あの長老?あんた、一体何歳や〜〜〜〜!?
 いや、まあ、確かに「ELDER」には「長老」という意味もありますが、むしろこの場合は「兄弟子」とか「年長者」といった意味合いの方が合っているのでは?その若さで長老はなかろう。この名札作るときに誰が訳したんだろうか。それともキリスト教の世界ではこういった布教活動をする人を長老と呼ぶのかなぁ。あるいはこのジェイソン君はキリスト教社会では既に聖人の域に達してしまったエライ人なんだろうか?それにしたって自分の名札に「長老」とか書いて歩きたくないよなぁ。
 やがて列車は岡山駅に到着。眠りから覚めたBARNHILL長老とBANZ長老は、大きく伸びをして、改札口へと向かっていったのでありました。