April.09

09年4月分の日記です。下に行くほど古くなってます。

■09.04.16 Thu  徳島小旅行記
昼間外出しているとちょっと汗ばむほどの陽気、何やらここ数日ですっかり初夏の兆しとなりましたね。さて、先日4月11日の土曜日、嫁と徳島県の南部へ日帰り旅行に行ってきました。先月末からETC搭載車の高速道路休日割引きが始まり、通常なら瀬戸大橋通行料+高速代金で往復13,000円かかるところ、ETC休日割引きだと4,000円で岡山から徳島まで往復できるという事で、ちょっと遠出してみた次第です。本来の目的は厄除けのお寺として有名な徳島県美波町の「薬王寺」へのお詣りだったのですが、ついでに「るるぶ」を片手に付近の観光もしてみました。

途中、休憩に立ち寄った高松道の「津田の松原サービスエリア」からの眺め。左の方に見えている砂浜と松林が瀬戸内海国立公園の指定を受けている「津田の松原(琴林公園)」です。
朝07:00に岡山市の自宅を出発して、早島ICから瀬戸中央道、高松道を経由して鳴門ICで高速を降り、あとはひたすら国道55号を南進。途中で休憩を挟みながら11:00に目的地である薬王寺へ到着いたしました。このお寺は四国八十八ケ所霊場の第23番札所であると同時に、先述した通り「厄除け」の祈願寺としても有名なところです。本来なら数え年で41歳の前厄の時にお参りするべきなのかもしれませんが、早めに詣るのは良い事らしいので、私的には少々フライング気味ではありますが気にしない、ということで。薬王寺は徳島南部の桜の名所でもあるらしく、そろそろ葉桜に変わりつつありましたが、まだまだ見頃な桜も堪能できました。
薬王寺のHPはこちら↓
http://www1.ocn.ne.jp/~yakuouji/

徳島市を越え、阿南市に差しかかったところにある「道の駅公方の郷なかがわ」で小休憩。数年前に阿南市の那賀川に迷いこんで話題になったあざらしの「ナカちゃん」の像がありました。そういえば「ナカちゃん」てどうなったんだろう・・・と調べてみたところ、2006年に亡くなってたんですね。・・・合掌。

国道55号をひた走り、11:00頃に美波町にある「薬王寺」へ到着しました。

薬王寺の入口である仁王門。
薬王寺には女厄坂33段、男厄坂42段、男女厄坂61段の、男女の厄年にちなんだ階段があり、この階段の端に1段ごとに1円玉などの硬貨を置いていく習わしがあるそうです。私達も事前に大量の1円玉を用意してこの習わしに従ってみましたが、腰を曲げた状態で階段を登っていくのはけっこう骨ですね。
薬王寺の最上部には「瑜祇塔(ゆぎとう)」というひときわ派手な塔が建っているのですが、ここからの眺めは絶景でした。また、この瑜祇塔の地階には「九相図巻考証」など国宝級の資料が展示されており、入館料100円で見学する事ができます。この「九相図巻考証」は小野小町が亡くなってから遺体が腐敗し白骨化するまでの様子が9枚の絵で表されたもので、どんな美人も骨になってしまえば一緒、というような無情感を表現したものだと思うのですが、 かなりリアルに描かれているのでそっち方面に耐性のある人でないと見るのはキツいかも。

参道を進んでいくと、まずは33段の「女厄坂」があります。

「女厄坂」を登ると、次は42段の「男厄坂」。それぞれの厄坂の石段の下には薬師本願経を一石一字に記して埋められているそうです。

このように階段の端に1円玉を置きながら登っていきます。この時、他人の置いた1円玉を踏むと厄が付いてくるので、踏まないように気をつけます。

「男厄坂」を登りきると、薬王寺の本堂があります。過去何度か火災に遭っているそうで、現在の本堂は明治41年に再興されたものです。

本堂でお詣りを済ませ、さらに上の「瑜祇塔」を目指します。

瑜祇塔へは、この61段の「男女厄坂(還暦坂)」を登ります。

色鮮やかで美しい瑜祇塔。桜と青空がマッチしていました。この塔は四国八十八ケ所開創1150年を記念して、昭和38年に建立されたものです。

瑜祇塔から美波町の眺め。絶景!

瑜祇塔から見た日和佐城。これからここへ向かいます。
さて、薬王寺でのお詣りを済ませ、今度は日和佐城へ。この城は薬王寺の南にある「城山」という標高65mの小丘に建つ白亜の城で、もともとここにあった歴史のある城ではなく、30年ほど前に日和佐勤労者野外活動施設として完成した構造天守閣だそうです。日和佐の町を見下ろすように建っていて眺めが良さそうなので、ここでお弁当でも食べようと思ったのですが・・・。辿りついてみると「しばらく休館します」の立て看板が。なんでも日和佐城の管理が美波町から民間の会社に移ったそうで、改装のため1年前から休館しているとのこと。「るるぶ」にはそんな事書いてなかったのになぁ・・・。残念。仕方がないので場所を変えて、ウミガメの産卵地として有名な「大浜海岸」で雄大な太平洋を眺めながらランチタイムにしました。
しばらく大浜海岸でまったりしたあと、「道の駅日和佐」で土産物を購入してから帰り路につくことにしました。途中、四国最東端に位置する「蒲生田岬(かもだみさき)」へ立ち寄り、雄大な太平洋の眺めを堪能。
さらに徳島市で寄り道して、眉山ロープウェイの麓にある阿波踊り会館1階の物産館「あるでよ徳島」でさらにお土産を購入しました。

細い道をクネクネと登ってやっと辿り着いた日和佐城でしたが・・・、残念ながら町から民間会社へ管理が移管したとかで、約1年前から休館していました。とりあえず外から写真だけ撮ってきました。

ウミガメの産卵地として有名な「大浜海岸」で、サーファーさん達を眺めながら昼食。ウミガメの産卵は5月中旬から8月中旬頃だそうです。

お土産購入のため、「道の駅日和佐」に立ち寄り。この道の駅はJR牟岐線日和佐駅に隣接しており、物産館や産直館も備えた、割と大きめな施設です。「道の駅日和佐」の HPはこちら→http://55hiwasa.web.fc2.com/

「道の駅日和佐」の目玉のひとつでもある「足湯館」。何人かの観光客が足湯で寛いでいました。

「道の駅日和佐」から薬王寺の眺め。瑜祇塔がひときわ目立っていますねぇ。

「道の駅日和佐」で、徳島県の特産品でもある“すだち”を使った「すだちソフト」に舌鼓。さっぱりしていて美味しかったです。

帰路の途中でちょっと寄り道。四国最東端に位置する「蒲生田岬」を訪れました。車1台通るのがやっとのクネクネした県道をようやく辿り着いた先にはこのような小山が・・・。展望台はこの上だそうですが、登るかやめるか躊躇してしまいました。(^^;;

まぁ、せっかく来たんだし、ということで急な階段を息を切らせながら登ってみると、目の前には素晴らしい眺望が。左の灯台は小松島海上保安部の管理する「蒲生田岬灯台」。

視界が良ければ対岸に和歌山県が見えるそうですが、今日はあいにく海上がモヤっていました。正面の島は沖合い約6kmに浮かぶ「伊島」です。

夕方、徳島市の眉山ロープウェイ乗場がある「阿波踊り会館」に立ち寄り。ここの1階に徳島最大規模の物産館である「あるでよ徳島」が入っています。「阿波踊り会館」の HPはこちら→http://www.awaodori-kaikan.jp/

「阿波踊り会館」の向い側にある休憩所。屋根の形が阿波踊りの際に女性が被る網傘の形をしているのがユニークですね。
さて、時間的にはちょうど夕暮れ時。徳島に来たならやっぱり「徳島ラーメン」を食べてみなくては!ということで「るるぶ」を頼りに「支那そば 巽屋」さんへ。徳島ラーメンにはご飯が合うのだそうですが、そこまでお腹が空いているわけでもなかったので、お店のイチ押しという「支那そば肉玉入り(小)」を注文。見た目がすごく濃そうなスープだったのですが意外にあっさりしていて、とても美味しかったです。上に乗っけられた肉がまた絶品。なるほど、これならご飯が欲しくなるのもうなずけますねぇ。今度はもっとお腹を空かせて、再チャレンジしたいですね。
といったところで、徳島日帰り旅行も終了。途中瀬戸大橋の半ばにある与島SAでライトアップされた橋を眺めてから家路につきました。久々の長距離ドライブでしたが、お天気にも恵まれ良い小旅行でした。

「るるぶ」を頼りに、少し道に迷いながら辿り着いた「支那そば 巽屋」さん。ネットで見てると結構有名なお店なんですね。

メニューは色々ありましたが、お店のおススメらしい「支那そば肉玉入り」を注文しました。これぞ徳島ラーメン、といった感じです。スープが濃そうな感じですが、意外とあっさり目。上に乗ってる牛丼のようなお肉もGoodでした。ご飯のおかずにもなりそうです。

といったところで、今回の徳島小旅行も終了。土曜日は瀬戸大橋のライトアップがあるので、途中の与島サービスエリアに立ち寄り、しばし橋を眺めてから帰りました。

■09.04.06 Mon  桜の季節の閑谷学校
お花見シーズンですね。桜前線も徐々に北上し、日本列島に春の訪れを告げている今日この頃。期の変わり目で忙しかった仕事もようやく一段落したので、気分転換を兼ねて4月5日(日)、嫁と一緒にのんびりとドライブがてら、岡山県備前市に所在する「閑谷学校(しずたにがっこう)」へ桜見物に行ってみました。この閑谷学校は寛文10年(1670年)に、当時の岡山藩主であった池田光政が庶民を対象とした学業施設として創建したもので、国の特別史跡に指定されています。閑谷学校の公式HPはこちら↓
http://shizutani.jp/

閑谷学校駐車場からの桜並木。
現存する庶民を対象とした学校建築物としては世界最古のものだそうで、特にメインの建物である講堂は国宝に指定され、その他の構造物もほとんどが重要文化財になっているそうです。
さて、岡山市から国道2号線をドライブし、14:00頃に閑谷学校駐車場へ到着。おぉ〜、良い感じで桜が咲いていますね。今日はお天気にも恵まれ、青い空と薄いピンクの桜が絶妙にマッチしております。そこへもってきて時代劇のロケにでも使えそうな閑谷学校の建物が絵のような美しさを醸し出しております。ここが桜の名所と言われるのも納得ですね。
ひとしきり桜並木を眺めた後、入館料300円を払って閑谷学校の構造物や資料館を見学しました。

空の青と桜の淡いピンクのコントラストが美しかったです。

良い感じに咲いています。

駐車場からの一本道を進むと、奥に閑谷学校の正門である「鶴鳴門」が見えます。いやー、なんか絵になりますねぇ。

手前は鶴鳴門、奥に見えるのが講堂です。手前の木は梅で、3月半ばが見頃なようです。

閑谷学校全景。手前の広場では家族連れが昼寝したりボール遊びなどしていました。のんびりした光景です。

広場前にある池には錦鯉のほか、マガモの姿もありました。

閑谷学校の史跡のひとつ、「閑谷神社」。重要文化財に指定されています。学校の創始者である岡山藩主、池田光政を祀っています。

こちらも史跡のひとつである「聖廟」。これも重要文化財です。閑谷学校では儒学が教えられた事から、この廟には儒学の祖である孔子が祀られており、奥の大成殿には元禄時代に鋳造された金銅製の孔子像が安置されています。入口左右にあるのが閑谷学校の名物である「楷の木」。秋には見事な紅葉を見せます。

これが国宝に指定されている閑谷学校講堂です。入母屋造り・錣葺きの大屋根を乗せた建造物で、一旦こけら葺きの屋根を造った上に垂木ごとに漆をかけた一枚板を張り、その上に備前焼き瓦を乗せるという手の込んだ作りになっています。江戸時代、ここでは一と六の付く日に教授による四書五経などの講釈が行なわれていました。

講堂の内部。ピカピカの床や10本の欅の丸太は江戸時代から今にいたるまで、ここに座った生徒達によって拭き込まれたものだそうです。

講堂の西側にある「文庫」。これも重要文化財に指定されています。学校の図書を収めた収蔵庫で、土蔵造りで、前室には土の戸が三重に造られており、防火・防犯に万全を期しています。

講堂から資料館へ続く道。見事な石垣が続いています。この石垣は閑谷学校全体を囲うように造られていて、上辺が丸い形になっているのが特徴です。

資料館そばの学房跡にも見事な桜が咲いていました。

こちらは閑谷学校資料館。閑谷学校学房跡に明治38年に建てられた、私立閑谷中学校本館を再利用しています。閑谷学校の歴史に関わる資料を数多く展示しています。

閑谷学校の東500m程のところにある黄葉亭。文化10年(1813年)に、来客の接待や教職員・生徒の憩いの茶室として建てられたあずまやです。

お天気にも恵まれ、程よく暖かな1日でした。たまにはこんなのんびりした時間を過ごすのも良いものですね。
という事で講堂や資料館などを約2時間ほどかけて見学。どちらかというと桜見物と言うよりは史跡見学になってしまいましたが、自然に囲まれた閑静な場所でゆったりとした時間を過ごす事ができました。この閑谷学校は大きな揩の木が1対植えてあり、秋には見事な紅葉が見られるとの事で、そちらもまたぜひ見物に来てみたいものです。